ティータイム・02年7月 No.2 |
みどりの空間で、旅先で、庭先で・・こころの癒しのメッセージです。 |
プラントハンター |
◆19世紀、ヨーロッパの国々は植民地獲得を国策にしていました。一方では、各地の珍しい植物や役に立つ植物を入手することも国策として盛んに行われました。ここで活躍したのがプラントハンターでした。彼等のなかには国策で活躍した人びとのほかに、純粋に植物に情熱を燃やし、自国にない植物を遠く海を越えて探し求めた無名に近い人びとが多くいました。 ◆江戸時代オランダから来日した医師のシーボルトは、植物学者として有名ですが、彼もまた正真正銘のプラントハンターであったといえるでしょう。彼は多くの日本の植物をオランダに持ち帰りました。スイセン、ユリ、ラン、等々500種にものぼる植物を持ち帰りましたが、途中、枯死する植物もでて、オランダに到着したときは260種だったといわれています。 ◆ユリは、現在ではオランダが有名ですが、シーボルトが持ち帰ったカノコユリとヤマユリが品種改良の元になっています。シーボルトがアジサイにつけた学名の「オタクサ」は、日本人妻の「お滝さん」の名前からつけられたことは有名ですね。オタクサは、ヤマアジサイの花序全体が装飾花になった「手まりアジサイ」の園芸品種です。日本では、「ホンアジサイ」といわれています。 |
ウォードの箱 |
◆プラントハンターたちが、長い航海で植物を運ぶことは容易ではありませんでした。 ◆イギリス ロンドンの医師・N.B.ウォードによって発明されたガラス張りのケース「ウォードの箱」は、イギリスのプラントハンターに注目されました。お茶やゴムの木をウォードの箱でイギリスの植民地に運びました。
◆プラントハンター R.フォーチュンは当時中国でしか栽培されていないお茶の品種をインドへ、また、ゴムをブラジルからセイロンに運びました。 ◆画像の「ウォードの箱」は、新潟県・新津市の県立植物園に展示されています。 |
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