◆1月4日(土)〜1月26日(日)・新潟県・新津市にある県立植物園で開催の「古典植物展〜今に伝える江戸の華〜」を4回に分けて紹介します。 1回目の今回は「ツバキ」をご紹介します。
◆【江戸の園芸文化】
●一般の人々が植物を楽しむようになったのは、生活にゆとりと豊かさを持つようになった江戸時代の半ばを過ぎてからでした。その後、オモトやツバキ、ツツジなど葉や花が奇妙とも思えるほどに変化した日本独自の園芸植物が発展し「古典植物」として今に伝えられています。
●徳川幕府の”御三代”将軍(家康・秀忠・家光)は「花癖」と呼ばれたほど並外れた花好きであったため、大名や旗本たちも追従して園芸に熱を入れました。また、世情の安定を背景に、支配階級だけでなく市井の民も園芸植物への興味と熱意を増幅させ「寛永のツバキ」、「元禄のツツジ」、「正徳・享保のキク」などの大流行が生まれました。
◆【ツバキ】[椿]
●ツバキはアジアの亜熱帯から温帯に分布するツバキ科の常緑高木または低木です。日本にはヤブツバキ・ユキツバキ・ユキバタツバキ・リンゴツバキなどが自生しています。 ●ツバキは日本人好みの花と捉えられがちですが、花色や花形が多様なため世界中で愛されています。しかし、欧米では八重咲きや千重咲きのような豪華な大輪が好まれるのに対し、日本では一重咲きで「侘(わび)」、「寂(さび)」の趣が感じられるような簡素な花が好まれます。
●日本書紀に景行天皇が土蜘蛛を征伐した際、ツバキの木で作った槌を使ったとあるように、ツバキは霊力を持つ神聖な木とされました。室町時代になると茶道や華道の流行とともに、ツバキも庭木や花材として観賞されるようになりました。
●江戸時代では徳川二代将軍・秀忠が特にツバキを好んだことから、各地から様々なツバキが江戸に集められました。ツバキだけを取り上げた書物が3冊も出され、寛永年間のツバキの大流行に影響を与えました。
●下の画像は新津市・普談寺の樹齢50〜100年の椿盆栽です。
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