◆時代背景 794年(延暦13年)から平安京に遷都されて百年、ようやく都も落ちつきを見せ始めた頃、和様と称される雅やかな王朝文化が生まれました。貴族たちは京都の美しい景観のなかで、四季移り行く草・木・花を如何に表現するかということから、漢詩に代わって「かな」引文字からなる和歌が詠まれ、繊細な情感を表現することが可能になりました。 913年には紀貫之の編纂による「古今和歌集」、934年には「土佐日記」・「竹取物語」・「伊勢物語」などが書かれました。
◆宮廷女流文学 今から約千年の昔・西暦千年前後、藤原氏が栄華を極めた頃に国文学の最高傑作とされる清少納言の「枕草子」、紫式部の「源氏物語」が生まれました。当時の貴族社会では高位な貴族のもとに娘たちを嫁がせるために、教養を高めるとともに美しい心を持てるように育てられました。紫式部、清少納言などによって宮廷女流文学の全盛時代を迎えたといえるでしょう。
◆源氏物語の和歌・四首
●心から春きる苑はわがやどの紅葉を風のつてにだに見よ
「春をごひいきのあなたさまの庭も今は退屈でしょうから、わがやの紅葉の美しさを、風の便りにでもご覧ください」(秋好中宮)
●風に散る紅葉はかろし春のいろを岩ねの松にかけてこと見め
「風に散る紅葉などは軽いものです。春の美しさをどっしりした岩に根ざす松の緑に見ていただきたいものです」(紫の上)
●おくと見るほどぞはかなきともすれば風にみだるる萩のうは露
「こうして起きていてもややもすれば風に散ってしまう萩の葉のようにはかない命です」(紫の上)
●ややもせば消えをあらそふ露の世におくれ先だつほど経ずもがな
「どうかすると先をあらそって消えゆく露のようにはかない人の命です。わたしもあなたに遅れをとらず、いっしょに果てたいものです」(源氏の君)
【紫の上は体調が思わしくありません。明石の中宮が里帰りされたときも弱々しいご様子でしたが、お二人で前栽などをご覧になります。そこへ源氏の君がおいでになりこぼれ落ちそうになっている萩の上の露をみてお互いに歌を詠み交わします。そして、その翌日の夜明け紫の上ははかなく世を去ります】
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